22/08/2013
続き。
そんなこんなで、授業研究をしたわけなんです。
火曜日に。
結果はダメダメ。
授業が終わりませんでした。
日本の研究授業と言ったら、発展的な内容を扱いますが、グアテマラはまだそこまでいってません。
普段の授業レベルを見せあいます。
それでも十二分に勉強になるんですよ。
今月はモデルとして島田が行いました。
授業研究の流れも確認してもらいたかったので、そいった意味も込めた授業研究。
授業を進めていくと、判明してくる致命的と言ってもいい問題。
今回は4年生のクラスで行いましたが、どうにも2年生の内容に躓く様子。
それを期に児童の理解度ががくっと下がり、やる気も下がり、先生方がたくさんいるからさらに緊張し、膠着。
結果、時間切れ(泣)
怪我の功名?不幸中の幸い?人の振り見て我が振り直せ?
随分と活発な事後検討会が行われました(笑)
あの授業からむしろあんなに良い点を発見した先生方がすごいと思います(笑)
そして、ものすごく的確な意見もあり驚き。
多分それを試していたら授業もなんとか進んだのでしょう。
やるな〜先生方。
ここまで成長してくれて本当に嬉しい。
そして、もう一つの敗因。
僕が児童の考えから授業を構築しようとしたところ。
日本と共同で作成した教科書は確かに日本仕様ですが、やはり教科書に沿うだけでは、どうしても決められた道を進んでしまう。
それに児童が自分の考えをノートに書いたりすること、互いの意見を見比べること、それらを使って授業を構築するといくことに慣れていなかったのに、僕が急に使ったもんだから困ったのでしょうね。
日本の授業を「書く授業」としたら、グアテマラの授業は「話す授業」
先生が話して児童が返答する。
こうなるとどうしても答えしか認めない状況が作られてしまう。
間違いから、論理的に考えて、答えを探し当てるとはなかなかいけない。
児童も先生が何かヒントめいたことを言ってくれるんじゃないかと、待ってしまう。
先生は児童が意見を言ってくれるのを待ってしまう。
これじゃすれ違いすぎて何も進まないですよね。
僕の研究不足でした。
アメリカの先生が日本の授業を観て感動し、実際に母国で行ったところ、失敗したそうです。
それは、アメリカの生徒がが日本の生徒のように振る舞うよう仕込まれていなかったからです。
授業は文化的側面の強い代物です。
長い間、児童はそう振る舞うよう求められてきました。
アメリカであれば、先生が主導となって授業を行っているそうで、なので児童・生徒は先生が言う何かを待ってしまう。
なので急に日本風を扱ってもうまくいかないのです。
逆も然りでしょう。
授業は随分と文化的なんです。
他国の授業を知れば、自国の授業が見えてくる。
勉強になります。
『日本の算数・数学教育に学べ -米国が注目するJyugyou Kenkyuu-』
という本が教育出版から出ていますので一読あれ。
グアテマラもそうなんですよね、児童が待ってしまう。
なので授業研究当日は失敗しました。
次の日、21日、つまり昨日なんですけれど、終わらなかった授業の続きをしました。
そこでもやっぱりこの姿勢を貫いてみました。
児童には意見を持たせる。
お互い意見を交流しあって、気づいてもらいたかったです。
結果、失敗。
昨日もダメでした。
やっぱ皆待つ。
もうだめだ…と学校へ行く気力すら失いながら今日は登校。
結局昨日も児童が理解できなかったので、今日まで引き延ばすことに。
昨日から2年生の内容から復習して、ようやく4年生の内容に到着しました。
今日は授業中でしたが、間違えることについても話しながら進めました。
意見をノートに書いても発表したがらない児童が多かったのでね。
一時間の中で大きく変わりました。
初めこそ、受け身でしたが、少しずつ慣れたのでしょうか、自分の考えを書き、どうしてそう思ったのかも、児童なりに考えるようになりました。
発表して、お互いの意見を比較しながら、違うこと、同じこと、どうして違うのか、同じなのか、
そんなことを話し合いながら進んでいきました。
途中思いもよらない面白い意見がでてきたりと、なんだかんだ今日は活発な話し合いができました。
3日かけて少しはよくなったでしょう。
時間はかかりました。貴重な3日間でした。
2年生の内容から復習できて彼らもよかったでしょう。
答えを出すことではなく、その道中の考え方に重きを置くのが算数なのであれば、彼らには大きく遠回りをしてもらいたいですね。
一杯考えて、分からなかったらどうしたらいいのかを考えて進んでいってほしいですね。
なんたってこの世は分からないことだらけなんですから。
今週は非常に疲れました。
最後は少しだけうまくいってよかったです。
考えるって、すごい。
がてじろう